闘病の母が浅田美代子さんにくれた時間 喪失の悲しみは犬に救われた
■語る 人生の贈りもの 俳優・浅田美代子さん(4)

芸能界入りの動機の一つに、父の世話にはなりたくないという思いがあった。吉田(拓郎)さんとの結婚に踏み切った背景にも、実は父の存在があった。
子どもの頃からずっと、父への嫌悪感と反抗心を抱いて生きてきたの。父のいる家から早く出たくてたまらなかった。
父は、昭和4年生まれ。昭和の格好つけおじさん。母に平気で暴力をふるい、私や弟にも厳しすぎるほど厳しかった。
テレビドラマ「寺内貫太郎一家」(1974年放送)でちゃぶ台返しのシーンがあったんだけど、全く驚かなかったくらい。
そのうえ「飲む、打つ、買う」を地でいく人。競馬やマージャンに金をつぎ込み、よく赤坂あたりのキャバレーに通ってた。
ギャンブルの賭け金を出してくれる親しい金貸しがいて、その娘とできちゃった。娘は私と同年代くらいで、平気な顔でうちに出入りしてた。本当に最悪だった。
俳優の浅田美代子さんが半生を振り返る「語る 人生の贈りもの」。全5回連載の4回目です(2026年5月から6月にかけて本紙文化面で連載した記事に加筆、再構成して配信します)。父への反抗心や「格好いい」母のこと、元保護犬たちとの日々、そして動物愛護活動への思いを聞きました。5回目は12日に配信します。
母は、弟が大学を卒業して就職するまで、耐えてくれた。
両親の離婚後、私は父と全く接点を持たなかった。金貸しの娘と結婚して身ぐるみはがされ、会社も失ったみたい。68歳くらいで亡くなり、葬式だけは弟が喪主でやった。
《母・順子は昭和6年生まれ。明るく、強い人だった》



