ほとばしるフレディ魂 屋根裏のトランクからメモやイラスト 「生涯の友」フォトブック出版
「ボヘミアン・ラプソディ」「ウィー・アー・ザ・チャンピオンズ」――。誰もが一度は耳にし、口ずさんだであろう名曲の数々を残した4人組ロックバンド「クイーン」。ボーカルのフレディ・マーキュリーが生まれて80年、亡くなってから35年となる今年、フレディ直筆の創作メモやスケッチ、未公開の写真といった貴重な資料をまとめたフォトブックが出版された。ページをめくると、アーティストとして、一人の人間として、45年の生涯を駆け抜けたフレディの知られざる素…

「ボヘミアン・ラプソディ」「ウィー・アー・ザ・チャンピオンズ」――。誰もが一度は耳にし、口ずさんだであろう名曲の数々を残した4人組ロックバンド「クイーン」。ボーカルのフレディ・マーキュリーが生まれて80年、亡くなってから35年となる今年、フレディ直筆の創作メモやスケッチ、未公開の写真といった貴重な資料をまとめたフォトブックが出版された。ページをめくると、アーティストとして、一人の人間として、45年の生涯を駆け抜けたフレディの知られざる素顔が浮かび上がる。
フォトブック「ア・ライフ・イン・リリックス A LIFE IN LYRICS」(ハーパーコリンズ・ジャパン)の日本語版は、フレディの誕生日前日の9月4日に出版された。日本以外では英国など世界7カ国で出版されている。300ページを超える一冊で、250点以上の資料が収録されている。
フレディとの共著という形でフォトブックに関わったのが、かつての恋人で「生涯の友」と呼ばれるメアリー・オースティンさん。1970年代にフレディと交際し、婚約。破局後も友人関係を続けた。2018年に公開された映画「ボヘミアン・ラプソディ」でも、メアリーがフレディを支える姿が描かれている。
フレディとの知られざるエピソードをつづったオースティンさんは「(創作に)どれだけの努力が費やされたか、彼の音楽と彼自身を理解してほしい」と話す。
フレディは46年、英国の保護領だったアフリカ・ザンジバル島(現タンザニア)で生まれた。幼少期からピアノやバンド活動に親しみ、17歳の頃、英国へ移住。24歳だった71年、クイーンを結成した。
パワフルさと優しさを兼ね備えた歌声でファンを魅了したフレディ。85年のライブエイド出演など、圧倒的なパフォーマンスは世界を熱狂させた。「ウィー・ウィル・ロック・ユー」「ドント・ストップ・ミー・ナウ」など、ヒット曲を次々と生み出したが、フレディは91年、エイズの合併症で急逝。クイーンは大黒柱を失った。
オースティンさんはフレディが生前暮らしたロンドンのガーデン・ロッジなど、多くの遺産を相続した。長い間、遺品には手をつけてこなかったが、22年、屋根裏部屋に置かれたトランクが目に留まった。中には創作途中の歌詞を書き留めたフレディ直筆のメモが入っていた。
さらに、学生時代にグラフィックデザインを学んだフレディが描いたスケッチや、プライベート写真も見つかった。「作りかけの詞や楽曲の数々、たくさんの言葉やタイトル、忘れられた歌、一度書いては消した跡、楽譜、遊び心のある落書き、私的なメモや考えごとが、ページからページへとあふれていたのです」
オースティンさんはこれまで目立つことを避け、遺品は私的な思い出にとどめていた。だが、フレディが残した品々に目を通すうち、気持ちに変化が生じた。「これはもっと多くの人に知ってもらうべきではないか」
フレディが創作する姿を間近で見ていたからこそ、遺品から感じることがあった。「彼は天才だったけれど、それは努力なしに得られたものではなかった。とても簡単に作っているように見えても、曲は断片から始まっています。その一行、その一節を試し、捨て、また試す――。そうした積み重ねがあるのです。その努力の跡を見てほしかった。それを通して、音楽家としての彼、そして人間としての彼自身を少しでも深く理解してほしいと思っています」
遺品には代表曲「ボヘミアン・ラプソディ」の別の歌詞案なども含まれ、知られざるクイーンの歴史やフレディの姿が投影されていた。別の歌詞の存在は「彼がどれだけの時間と労力、職人的な技巧、そして熱意を注ぎ込んでいたか」を示しており、オースティンさんは「多くの人が驚くのではないでしょうか」と指摘する。
さらに、音楽に関する創作物だけでなく、遊び心あふれるイラストや落書きのようなものも残されていた。その一つがクイーンの紋章だ。フレディは星座や占星術に興味を持ち、バンドのメンバーを星座で表現した紋章のデザインを深夜まで考えていたそうだ。オースティンさんは「神話などからストーリーに深みを加えるのは、すごく彼らしい」と振り返る。
遺品からはフレディの二面性も垣間見えると、オースティンさんは考えている。一つは、才能とその裏に隠された葛藤を併せ持つアーティストのフレディ・マーキュリー。もう一つは、繊細ながら努力を続けた本名のファルーク・バルサラだ。
「彼は、自分が非常に創造的であることを理解できるだけの知性を持っていました。ただ、それは一人の人間には大きすぎたのだと思います。ですから、自分の才能を『創造する側』と『表現する側』に分ける必要があったのです。彼にとってはマーキュリーが表現する側、バルサラが創造する側でした」
フォトブックに収められたのは遺品の一部だが、ヒット曲以外の楽曲の資料も取り入れた。そこにはオースティンさんなりの意図がある。「フレディの創造性の幅広さを示す、美しくもあまり知られていない曲も選びました。私たちが願うのは、読者を彼の何十年にもわたる作詞作曲の旅へと連れていくことです」
フレディが残した楽曲は今も愛され、歌われ続けている。このことをオースティンさんはどう感じているのだろう。「信じられないことです。彼が生み出したものが、彼の曲が、これほど長く生き続けているというのは。それを知ったら、彼はきっと大喜びするでしょう。彼の音楽、歌詞は喜びや幸せを伝え、気持ちを高めてくれます」
日本のファンに向けては次のような言葉を寄せた。「彼がどれほど日本を愛していたか、日本で日本の人々と過ごすことをどれほど愛していたかをお伝えしたいと思います。そして今、皆さんが彼のことをもっと分かち合ってくださることを願っています」
今、フレディに声をかけるとしたら? 最後にそう尋ねると、言葉を詰まらせながら一言、こう紡いだ。
「あなたがいなくてさびしい。会いたいよ」【川島一輝】



